東京から茨城に引っ越してきたばかりの頃。
僕は小学一年生だった。
その日は学校の帰り道。
友達とみんなで朝日屋の辺りからかけっこの競争をした。
夢中になっていたんだと思う。
そして、横断歩道の信号を無視した。
その先で、僕はトラックにはねられた。
かなり遠くまで吹っ飛ばされたらしい。
履いていた靴も、ずいぶん遠くまで飛んでいたという。
でも、そのときの記憶はない。
気がついたら、病院のベッドの上だった。
周りには管がいっぱい付いていた。
次の日も歩けなかった。
その後、歩けるようにはなったけれど、血尿も出ていた。
今考えれば、かなり大きな事故だったんだと思う。
事故の衝撃で頭を打ったのか。
それとも別の理由なのか。
今となっては分からない。
ただ、事故の前後の記憶が抜けている。
それでも、不思議なことに覚えていたものがある。
母親の電話番号だ。
東京の家の電話番号。
03-3870-xxxx
今でも覚えている。
病院の公衆電話。
夜。
10円玉をたくさん持って、東京で暮らす母親に電話をした。
事故の瞬間は覚えていない。
トラックも覚えていない。
飛ばされたことも覚えていない。
でも、
母親の電話番号だけは覚えていた。
子どもにとって、母親というのはそういうものなのかもしれない。
……なんて、今だから言える。
当時の僕は、そんなことを考えていたわけじゃない。
ただ、電話をかけた。
母親が心配してくれていたことだけは覚えている。
東京から茨城に来たばかりの小学一年生。
僕の茨城生活は、ずいぶん派手な始まり方をした。
そして、このときはまだ知らなかった。
この先、僕が何度も骨折することになるなんて。
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